静岡県埋蔵文化財センター
サテライト展示

臨時休館中の県立中央図書館3階展示室にて
埋蔵文化財センターのサテライト展示を開催していました。
現在御覧いただけませんが、展示の様子を御紹介します。

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旧石器・
縄文時代
 「狩猟・採集の時代」
 日本列島に人類が住み始めたのは今から約36,000年前、旧石器時代のことです。寒冷で乾燥した気候の中、ナウマンゾウや大型のシカなどを追って、移動を繰り返す生活を送っていました。 疎林の森での狩猟で用いられたのが石器で作られた槍(尖頭器)です。
  約16,000年前、温暖化とこれに伴う海水面上昇によって日本海が生まれると、本州、四国、九州には照葉樹林の森が誕生します。縄文時代の始まりです。弓矢でシカやイノシシなど中型の動物の猟をするとともに、森から得られる植物性の食料に支えられながら人々は定住生活を営み、土器製作も始まりました。最近では、豆や雑穀の栽培が開始されていたことも解っています。
 <展示の遺跡>
 向田A遺跡、的場遺跡、梅ノ木沢遺跡、西洞遺跡、押出シ遺跡、桜畑上遺跡
 「旧石器時代:落とし穴の配列」
 三島市内の箱根山麓では、2万7千年前の地層から、落とし穴と思われるものが並んで発見されました。これは落とし穴の配列を示した模型で、山の尾根に列を作るように掘ってあります。当時のけもの道に掘って、動物が落ちるわなだったと考えられます。
 「礫群に伴う炭粒」
 はぎ取りの表面をよく見ると黒いピンを打ってあります。これは礫群に伴って出土した炭粒の位置を示しています。
 礫群が炭粒を伴っていたことから、火を使った施設であったことがうかがえます。
 <展示の遺跡>
 高見丘遺跡
弥生時代    「弥生時代」~稲作の開始と大規模集落の発展~
 弥生時代になると、稲作や金属器などの新たな文化が大陸から入ってきました。特に稲作の開始は、人々に安定した食料の供給をもたらしました。そして、人々は農耕の生産性を高めるため、より大きな集団にまとまり、大規模な集落を形成するようになりました。
 ここでは、弥生時代の集落で使用していた土器や石製品、水田で使用していた農具をご紹介します。
 <展示の遺跡>
 将監名遺跡、角江遺跡
 「弥生時代の臼と杵」
 収穫したお米を脱穀するのに使われた道具といえば臼と杵です。浜松市角江遺跡ではほぼ完全な形の臼が見つかりました。臼は直径60㎝を超えるクスノキで作られています。クスノキは樟脳の香りがあり天然の防虫効果があります。また精油成分が含まれており抗菌の働きがあります。弥生時代の杵は「竪杵」と呼ばれるものです。杵にはカシやツバキの木が使われます。道具に使われる木材も適材適所なのです。
 <展示の遺跡>
 角江遺跡 
 「集落を囲む溝」
 環濠とは、集落の周囲に巡らす溝の事で、どのような目的で造られたのか不明な部分もありますが、外敵から集落を守る目的や、集落の仲間意識を高める目的造られたと考えられています。このような環濠を巡らした集落は環濠集落と呼ばれ、弥生時代の特徴的な集落形態の一つです。
 <展示の遺跡>
 西通北遺跡 
 「瀬名(せな)遺跡の弥生人骨」
 静岡市瀬名遺跡では弥生時代の木棺墓が発見され、木棺の中から成人男性の人骨一体分が見つかりました。人骨は頭を北にした状態で、顔を西に向けています。左右の腕は肘を完全に曲げ、膝は西に向いた状態で折れ曲がっています。
 木棺は杉で作られた6枚の板を箱形に組み合わせており、構造や木の材質が確認できる残り方で見つかった木棺墓は東日本で初めての例です。
 <展示の遺跡>
 瀬名遺跡 

 「銅鐸(どうたく)出土状況」
 磐田市西の谷遺跡の銅鐸は、当時の集落から離れた谷の奥で、丘陵斜面の土の中に埋められた状態で発見されました。斜面には等高線に平行する方向の穴が掘られており、銅鐸はこの穴の中に横倒しの状態で埋められていました。
 埋められた銅鐸の内部や穴の中には、斜面の上から流れ込んだ土が入り込み、銅鐸は流れ込んだ土によって下方向に押され、斜めに傾いた状態で出土しています。
 <展示の遺跡>
 西の谷遺跡

古墳時代  「衣原(ころんばら)古墳群」
 衣原古墳群は藤枝市北部の葉梨川と半谷川に挟まれた丘陵上に営まれた10基程の古墳群で、6世紀後半~7世紀代に形成されたと考えられています。衣原11号墳は、第二東名建設に伴って発見された古墳で、平成14年度に発掘調査を実施しました。後世の削平により墳形や大きさは不明ですが、埋葬施設は全長約6mの横穴式石室で、須恵器、土師器、大刀、鉄鏃、馬具、装身具など多くの副葬品が出土しました。
 衣原11号墳では2回の追葬が行われており、豊富な出土品は3回の副葬品と考えられます。古墳時代後期を研究する上で重要な古墳と言えるでしょう。
 <展示の遺跡>
衣原11号墳
 「黄泉の国(よみのくに)への旅立ち」
 磐田市元島遺跡2号墳の舟形粘土棺、今から1,600~1,550年前のものです。古墳時代の棺は通常箱形かあるいは竹を割ったような形状が主体ですが、この舟形粘土棺は粘土で船の形を作っている特異な形状の棺です。
 日本では古くから舟葬-舟(船)を棺として利用する-の風習がありました。彼方にある「黄泉の国」へたどり着けるように船の形で棺を造り出し、ここへ死者を埋葬したものと考えられるとともに、この古墳を築いた人たちは海や川との関係が深かった-船を利用した荷物輸送などを行う集団-可能性が想定できます。
 <展示の遺跡>
元島遺跡
古代・中世  「古代の人々の生活
 奈良時代は貴族達が華やかな暮らしをする一方で、律令制下での農民達は、租(米の税)、調(地元特産物の納入)、庸(労役代わりの布等の納入)、雑徭(土木工事、税の運搬などの労役負担)のほか、兵役の負担も負っていました。これらの重い負担により農民の生活は苦しく、逃げ出す者がいたようです。
 しかし奈良時代などの遺跡を調査すると、須恵器や土師器の土器だけでなく、木製の食器類も出土することがあります。このほか、鍬・鎌などの農具、投網につけた土製の錘、狩猟用の鏃、糸を紡ぐ紡錘車などさまざまな道具がみつかり、ムラでは農業だけでなく漁業や狩猟など、たくましく生きた証が見つかるのです。
 「中世~15世紀の物資集散基地 元島遺跡・磐田市~
 元島遺跡は、周智郡森町に起点を発し、磐田市内を流れて海へ注ぐ太田川の河口付近に営まれた集落遺跡です.
 中でも15世紀(室町~戦国時代)の遺構・遺物は膨大で、舟の出入りに用いられたと考えられる水路で区画された遺構群は、出土遺物の種類や比率から生活域、漁労関連の倉庫域、交易品関連倉庫群などに推定できる上、鍛冶工房も備えていることから、当時の地方有力者の保護のもと、計画的に建設された物資集散基地だったと推測されています。
 <展示の遺跡>
横山遺跡、池ヶ谷遺跡、笠井若林遺跡、元島遺跡
特集  「赤土政所(あかつちまんどころ)一反田(いったんだ)遺跡
 遺跡は菊川市南部中央の旧小笠町赤土地区に所在します。今回、発掘調査した北側は一反田遺跡です。奈良・平安時代の河川跡(SD101)からは、多くの土器や木製品が出土しました。人形や鳥形などの形代には墨書があります。調査区南側の赤土政所遺跡では、奈良・平安時代の掘立柱建物群や古墳時代中期の竪穴住居跡が見つかりました。このうち古墳時代後期の河川跡(SD206)からは、土師器を主体とした土器や木製農耕具、石器が出土しました。
 <展示の遺跡>
赤土政所・一反田遺跡
 「神明原(しんめいばら)元宮川(もとみやがわ)遺跡」
 大谷川の改修のために、昭和58~60年に発掘調査を実施しました。埋没していた川の跡と微高地の地形が現れ、縄文時代から江戸時代までの多様な遺構・遺物が発見されました。特に注目されるのは、古墳時代から鎌倉時代までの祭祀用の遺物の出土です。川の跡などから多量に出土し、水辺で祈りをこめた祭祀が盛んに行われてきたことが判明しました。
 <展示の遺跡>
神明原・元宮川遺跡

展示の詳細は県立中央図書館3階展示会場にて御確認ください。
観覧時間:9:00~17:00(図書館休館日は観覧できません)
図書館の開館日はコチラをクリックして御確認ください(外部サイトへリンク)


御来場をお待ちしています。