静岡県埋蔵文化財センター
サテライト展示

県立中央図書館3階展示室にて
埋蔵文化財センターのサテライト展示を開催しています。
ここでは展示の様子を御紹介します。

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旧石器・
縄文時代
 <旧石器時代・縄文時代>
 日本列島に人類が住み始めたのは今から約36,000年前、旧石器時代のことです。平均気温が現在よりも約7〜8度低く、寒冷で乾燥した気候の中では、植物の生育状況も悪く、樹木のまばらな森(疎林)が広がっていたと考えられます。そのような環境下、当時の人々は、狩りの道具として石で槍を作り、ナウマンゾウやオオツノジカなどの大型獣を追って移動をくり返す生活を送っていました。
  約16,000年前、温暖化が進むと、西日本を中心に照葉樹林が発達します。縄文時代の始まりです。温暖化に伴い、狩りの対象もシカやイノシシなど中型獣に変化するとともに、狩りの道具も槍から弓矢に変化します。また、人々は森から得られる植物性の食料に支えられながら定住生活を営み、土器製作も始まりました。最近では、豆や雑穀の栽培をしていたことがわかっています。
 「桜畑上遺跡(さくらばたけうえいせき)
 桜畑上遺跡は駿東郡長泉町上長窪に所在する旧石器時代から縄文時代を中心とした遺跡です。
 平成11年から平成20年にかけて、新東名及び東駿河湾環状道路建設に伴い発掘調査され、旧石器時代では多くの文化層(時期が異なる遺構・遺物の層)が確認され、時期ごとに異なる石器の違いを知ることができました。
 縄文時代では、草創期、早期、前期、中期、後期を中心とした遺構・遺物が確認され、特に、中期の竪穴住居群は出土品の豊富さとあいまって、当時の生活の様子を知るうえで貴重な資料になりました。
 遺跡が立地する愛鷹山南麓〜東麓は、旧石器時代から縄文時代の遺跡の密集地帯として知られており、発掘調査の成果により当時の人々の生活を知ることができます。
 「旧石器時代:落とし穴の配列」
 三島市内の箱根山麓では、2万7千年前の地層から、落とし穴と思われるものが並んで発見されました。これは落とし穴の配列を示した模型で、山の尾根に列を作るように掘ってあります。当時のけもの道に掘って、動物が落ちるわなだったと考えられます。
 「礫群に伴う炭粒」
 はぎ取りの表面をよく見ると黒いピンを打ってあります。これは礫群に伴って出土した炭粒の位置を示しています。
 礫群が炭粒を伴っていたことから、火を使った施設であったことがうかがえます。
 <展示の遺跡>
 高見丘遺跡
弥生時代  <弥生時代>
 弥生時代のはじまりは、一般的に、大陸から伝えられた水稲耕作の技術を含む文化の開始をもって定義されています。ただし、水稲耕作をはじめとした技術の国内での導入には時間差があり、静岡県内では弥生時代中期(約2,000年前)に水稲耕作が盛んになります。
 水稲耕作とともに、土器、石器、農耕具金属器製作などの新しい技術がもたらされ、土器は高温で焼く薄手に、石器は大陸系磨製石斧の導入により伐採・加工技術が進歩し、農耕具をはじめとする木製品の調達が容易になったと考えられます。
 また、静岡県内では弥生時代後期(約1,900年前)になると、鉄斧、銅鐸など金属器の出土も認められるようになります。
 「寺家前遺跡(じけまえいせき)
 寺家前遺跡は平成12年から平成18年まで発掘調査されました。現在の新東名藤枝パーキングエリア付近にあたります。寺家前遺跡では、約1,800年前の弥生時代後期後半の集落跡が発見されました。人々が生活する居住域と米を生産する水田域が隣接して見つかり、竪穴住居跡、掘立柱建物跡、水田跡などの多くの遺構が検出されました。
 居住域では数多くの土器や石器が出土し、水田域では農耕土木具をはじめとする木製品が出土しました。
 水田では地形の起伏を上手く利用して、水路から供給された水をまんべんなく回すように畦がつくられていました。また、集落の北東側にある低地では、倉庫の柱や壁、屋根板材などが多く発見されていることから、木製品を一時的に貯木して、畦や水路の土留めに再利用していたと考えられます。
 「弥生時代の臼と杵」
 収穫したお米を脱穀するのに使われた道具といえば臼と杵です。浜松市角江遺跡ではほぼ完全な形の臼が見つかりました。臼は直径60pを超えるクスノキで作られています。クスノキは樟脳の香りがあり天然の防虫効果があります。また精油成分が含まれており抗菌の働きがあります。弥生時代の杵は「竪杵」と呼ばれるものです。杵にはカシやツバキの木が使われます。道具に使われる木材も適材適所なのです。
 <展示の遺跡>
 角江遺跡 
 「集落を囲む溝」
 環濠とは、集落の周囲に巡らす溝の事で、どのような目的で造られたのか不明な部分もありますが、外敵から集落を守る目的や、集落の仲間意識を高める目的造られたと考えられています。このような環濠を巡らした集落は環濠集落と呼ばれ、弥生時代の特徴的な集落形態の一つです。
 <展示の遺跡>
 西通北遺跡 
 「瀬名(せな)遺跡の弥生人骨」
 静岡市瀬名遺跡では弥生時代の木棺墓が発見され、木棺の中から成人男性の人骨一体分が見つかりました。人骨は頭を北にした状態で、顔を西に向けています。左右の腕は肘を完全に曲げ、膝は西に向いた状態で折れ曲がっています。
 木棺は杉で作られた6枚の板を箱形に組み合わせており、構造や木の材質が確認できる残り方で見つかった木棺墓は東日本で初めての例です。
 <展示の遺跡>
 瀬名遺跡 

 「銅鐸(どうたく)出土状況」
 磐田市西の谷遺跡の銅鐸は、当時の集落から離れた谷の奥で、丘陵斜面の土の中に埋められた状態で発見されました。斜面には等高線に平行する方向の穴が掘られており、銅鐸はこの穴の中に横倒しの状態で埋められていました。
 埋められた銅鐸の内部や穴の中には、斜面の上から流れ込んだ土が入り込み、銅鐸は流れ込んだ土によって下方向に押され、斜めに傾いた状態で出土しています。
 <展示の遺跡>
 西の谷遺跡

古墳時代  <古墳時代>
 3〜4世紀になると東北地方から九州地方の広い範囲で大型の前方後円墳を頂点とした古墳が築かれました。古墳時代の始まりです。ヤマト王権が成立し、共通した祭祀と政治的権威によって各地の首長と結びついたことがうかがえます。
 5世紀には巨大な前方後円墳が築造されますが、6世紀になると前方後円墳は減少し、群集墳が多くなります。また、追葬可能な横穴式石室や横穴墓が広がります。
 古墳に副葬される品としては、銅鏡や玉類のように祭祀的役割を象徴したものや、武力・生産を掌握し政治的権威を象徴した鉄製の農耕具や武器類、供物を納めた須恵器などの土器類があります。
 「天王ヶ谷横穴群(てんのうがやおうけつぐん)
 ここでは、森町の天王ヶ谷13号横穴墓の出土遺物を展示しています。
 天王ヶ谷横穴群は周智郡森町円田の丘陵に築かれた古墳時代の終わりごろ、7世紀を中心に造られた墓(横穴墓群)です。平成11年度に、新東名高速道路の建設に伴い55基の横穴墓が調査され、豊富な副葬品が見つかっています。
 13号墓からは、須恵器、土師器、耳環、玉類、刀子が出土しました。耳環の1点は自然科学分析の結果、銅に銀箔を巻きつけ、その上に鍍金していたことが分かりました。人骨も5体分以上が見つかり、そのうち歯の分析から判明したのは、成人女性2人、成人男性1人、性別不明成人1人、子供1人です。
 須恵器の分析から、7世紀前半に築造され、7世紀中葉に追葬された可能性が高いと考えられます。
 「黄泉の国(よみのくに)への旅立ち」
 磐田市元島遺跡2号墳の舟形粘土棺、今から1,600〜1,550年前のものです。古墳時代の棺は通常箱形かあるいは竹を割ったような形状が主体ですが、この舟形粘土棺は粘土で船の形を作っている特異な形状の棺です。
 日本では古くから舟葬−舟(船)を棺として利用する−の風習がありました。彼方にある「黄泉の国」へたどり着けるように船の形で棺を造り出し、ここへ死者を埋葬したものと考えられるとともに、この古墳を築いた人たちは海や川との関係が深かった−船を利用した荷物輸送などを行う集団−可能性が想定できます。
 <展示の遺跡>
元島遺跡
古代・中世  <古代・中世>
 6世紀の終わりから再開した中国との外交をもとに、日本では法の整備が進められ、701年、大宝律令の制定により、天皇を頂点とする中央集権国家が成立します。
 中央は二官八省、地方は畿内・七道に区分され、国・郡・里が置かれ、行政制度が整えられるとともに、天皇による仏教奨励策も影響して、全国各地に寺院が建立された時期でもあります。
 中世は、平安時代の院政期(11世紀末)から戦国時代までをさします。 鎌倉幕府や室町幕府のように武家政権による支配体制がしかれる時期と重なります。国内の陶器生産が活発化し、庶民でも陶器の使用が始まったと考えられ、遺跡からは、多くの陶器が出土します。
 ここでは、菊川市一反田遺跡を例に、古代から中世にわたる出土品を通じて、当時の人々の生活にせまります。 
 「一反田遺跡(いったんだいせき)
 一反田遺跡は、菊川市赤土に位置する古墳時代〜近世の遺跡です。掛川浜岡線の整備事業に伴い、平成20〜25年にかけて断続的に発掘調査が行われた結果、奈良時代〜平安時代の旧丹野川の支流跡と思われる自然流路跡や、鎌倉時代〜南北朝期の屋敷跡が発見されました。
 自然流路跡からは奈良時代の人形や鳥形、斎串などの祭祀に使われたものや、馬鍬、平鋤、掛矢等の農工具も出土しました。
 屋敷跡は大きな溝で囲まれており、掘立柱建物跡が7棟確認できました。建物の柱を据えた穴からは柱根や礎板が出土しました。柱根は文字通り「柱の根元」ですので、柱が立ったまま腐り、根元だけが残ったのでしょう。
 この遺跡一帯には、比叡山延暦寺の荘園「赤土荘」が置かれていたと記録に残っています。遠江国の中でも豊かな土地であったと考えられます。
特集

 「瀬名遺跡(せないせき)
 瀬名遺跡は、静岡市葵区瀬名に位置する弥生時代〜中近世の遺跡です。
 国道1号静清バイパス建設に伴う発掘調査では、弥生時代〜中近世の水田や弥生時代の墓などが検出されました。
 水田は、弥生時代から近世までの約2,000年間の変遷が明らかにされており、各時期の時代背景、自然環境に応じた土地利用の様子をうかがい知ることができます。
 弥生時代中期の方形周溝墓群は、発見されることが少ない埋葬施設(木棺と人骨)が検出され、木棺の構造や遺体の埋葬方法を知る上で、貴重な成果となりました。

展示の詳細は県立中央図書館3階展示会場にて御確認ください。
観覧時間:9:00〜17:00(図書館休館日は観覧できません)
図書館の開館日はコチラをクリックして御確認ください(外部サイトへリンク)


御来場をお待ちしています


静岡県埋蔵文化財センター