静岡県埋蔵文化財センター刊行の発掘調査報告書一覧

                                                                               平成29年4月1日

報 告 書 名 所在 主 な 内 容   
1 政戸境横穴群 (まさどさかい) 函南町  7世紀中葉に築造された横穴を3基検出した。
2 西洞遺跡U (にしぼら)
旧石器時代・縄文時代編
沼津市  旧石器時代では第X黒色帯から13基の石器ブロックが検出された。中でも天城柏峠産の黒曜石で構成されるブロックは、規模が大きく、小さな環状ブロックとして評価できる。縄文時代では、草創期の隆帯文土器から中期の曽利U式土器に及ぶ時期の資料が確認された。特に早期の条痕文土器と中期の勝坂式土器の出土量が多く、後者では完形に近く復元できる資料も認められた。
3 富士石遺跡U (ふじいし)
(旧石器2)長泉町10
長泉町  富士石遺跡Tに引き続き、本書はAT(姶良丹沢パミス)より上層にて発見した旧石器時代の遺構・遺物を紹介する。特筆すべき点は第]X文化層の大規模石器製作跡、第][文化層での尖頭器群、そして日本国内でも稀有な例となる第][文化層における石製装飾品の出土である。特に石製装飾品の出土は、旧石器時代における芸術表現や精神生活の解明に資するものと期待されている。
4 駿府城跡 (すんぷじょう) 静岡市  三ノ丸大手西石垣解体に伴う調査で、幕末に構築されたとみられる土塀基礎遺構を検出した。
5 角庵T遺跡・角庵U遺跡 (かくあん) 掛川市  角庵U遺跡は弥生時代後期前半に土壙墓が築造され、古墳時代前期に竪穴建物と掘立柱建物で構成される集落へ変化している。また、角庵T・U遺跡では7世紀前半に突如竪穴建物が構築され、短期間(50年程)で放棄される。気候変動に伴う移動あるいは律令期へ向かっての集落の再編・拡散、耕地の開発に伴う可能性がある。
 角庵U遺跡出土の礫石経塚は法華三部経や観音信仰、「宝篋印陀羅尼経」、十三仏信仰などに基づく追善供養が目的で造営された可能性が高い。
6 森町円田丘陵の横穴墓群
(もりまちえんでんきゅうりょう)
森町  6世紀末〜8世紀前半に築造された、宇藤横穴墓群2支群13基、天王ヶ谷横穴墓群4支群55基の横穴墓の報告である。横穴墓内からは大刀や鉄鏃等の武器、勾玉や耳環等の装身具、紡錘車や砥石が出土した。また、人骨の残存状況が良好であり、改葬骨を納めていた可能性が高いことが明らかとなった。
7 富士石遺跡V (ふじいし) 
(縄文以降)長泉町11
長泉町  本書では縄文時代早期〜前期の集落を中心に報告。清水柳E類土器、野島式並行期の土器等が大量に出土した。
8 満願寺跡 (まんがんじ) 伊豆の国市  守山中世史跡群の一角に立地。中世寺院の存在を確定することはできなかったが、五輪塔、仏花瓶等の宗教的遺物が出土。近世の陶磁器もやや多く出土した。
9 秋葉林遺跡V (あきばばやし) 沼津市  縄文時代の竪穴住居と土坑を検出した。
10 鎌沢遺跡・銭神遺跡
(かまざわ・ぜにがみ)
沼津市  鎌沢遺跡では第V黒色帯から土坑と石器ブロックが近接して検出された。銭神遺跡では縄文時代の打製石斧製作跡が検出された。
11 将監名遺跡 (しょうげんみょう) 浜松市  弥生時代では、住居址、土坑、方形週溝墓、土器棺墓、流路が検出され、古墳時代以降では流路と井戸が検出された。遺物は大量の土器の他に、銅鐸の舌、有孔磨製石剣など、特殊な遺物が出土した。
12 裾野市葛山・今里の遺跡群
(かずらやま・いまざと)
裾野市  葛山上條遺跡・葛山大端ヶU遺跡は、縄文時代の陥穴状土坑・集石等を多数検出した狩猟キャンプ跡。今里薬師海道遺跡は遺物包含層を主体とし、縄文時代前期〜晩期の土器等が出土。
13 内牧城、城山古墳、キョウダイヤト
(うちまきじょう、しろやま)
静岡市  内牧城跡は南北朝期の城とされていたが、今回の調査では城に伴う遺構や遺物は発見されなかった。城山古墳は古墳時代後期の横穴式石室を主体部とする古墳である。キョウダイヤト遺跡では古墳時代前期・奈良時代・中近世の掘立柱建物・溝状遺構・土坑・小穴等を検出し、陶磁器・須恵器・土師器等が出土した。
14 駿河山遺跡W (するがやま)
(弥生・古墳・歴史時代編2)
島田市  駿河山遺跡は、縄文時代〜中世に至る複合遺跡である。
 本書では、弥生時代後期から古墳時代前期の竪穴状遺構・掘立柱建物跡・方形周溝墓と、これらの遺構から出土した遺物に関する報告を行った。居住域と墓域の分布から、土地利用のあり方や変遷が明らかになった。
15 中通遺跡・寺海土遺跡
(なかどおり・てらかいと)
浜松市  中通遺跡は、縄文時代と古代から近世にかけての複合遺跡である。縄文時代の遺跡としては、縄文早期の炉穴が218基、集石が36基発見されている。寺海土遺跡は、鎌倉時代の遺跡である。河川跡や建物跡、祭祀遺構、道路遺構などが発見されており、土器が多数出土している。
16 曲金北遺跡U (まがりかねきた) 静岡市  古代東海道を検出した第1次調査の南西側に位置する。弥生時代後期から近世にかけての水田跡5面を検出した。地形の変化に即応した水田造成の変遷を窺うことができる。
17 藤守遺跡 (ふじもり) 焼津市  大井川が形成した扇状地上の遺跡で、奈良〜平安時代の溝と自然流路を検出した。
18 有東遺跡 (うとう) 静岡市  今回の発掘調査は有東遺跡第22次調査にあたり、静岡市立商業高等学校敷地内で行われた。北側のA区では弥生時代中期後半の方形周溝墓5基が検出され、その後弥生時代後期以降は水田域となることが判明した。一方、南側のB区では弥生時代後期前半の集落域に伴う溝状遺構が検出され、当該期の集落域の現時点における南端が把握された。
19 寺家前遺跡T (じけまえ)
(古代・中〜近世編)
藤枝市  弥生時代後期後半と古墳時代後期の集落と水田を開発した痕跡が見つかった。土器や石器、建築材などの木製品が大量に出土した。律令期の条里制地割を持つ水田と大畔が検出された。11世紀末に再び居住域となり、溝や柵列等で区画された屋敷地が3箇所見つかった。なかでも「花押」のある墨書土器は葉梨荘領主を表す可能性のあるものとして注目される。
20 日向館 (ひなたやかた) 伊豆市  15〜16世紀の溝を伴う集落遺跡。中世前期の溝も存在するか。武家館跡である証拠は発見できず。近世の遺物も出土。
21 花倉大柳遺跡・花倉大柳古墳
(はなぐらおおやなぎ)
藤枝市  葉梨川中流域の丘陵上に位置する縄文時代から古代までの複合遺跡である。縄文時代中期の石囲炉、弥生時代後期〜古墳時代前期の竪穴住居・方形周溝墓、古墳時代前期〜中期の木棺直葬墳、古墳時代後期の円墳周溝、平安時代前期の方形周溝状遺構を検出し、集落域から墓域への土地利用の変遷が明らかになった。
22 北垣遺跡 (きたがき) 森町  北垣遺跡は周智郡森町に所在し、太田川右岸の円田丘陵上に位置する。縄文時代から近世に至るまで断続的に集落が営まれた複合遺跡である。縄文時代に関しては、竪穴住居跡と土器が出土しており、周辺の遺跡では縄文時代の遺構と遺物が少ないため、森町周辺における縄文人の活動を知る上で重要である。古墳時代後期に関しては、周辺に横穴墓群が築かれており、墓域と居住域の関係にあったとして注目できる。中世後期は土坑墓と石塔が多く検出されている事から墓域が遺跡の中心だったと考えられる。近世以降の北垣遺跡は鉄滓が出土した事から鍛冶を行う集落だったと考えられる。
23 知波田小学校遺跡
(ちばたしょうがっこう)
湖西市  知波田小学校遺跡は、浜名湖西岸を通るルートと多米峠を越えて三河へと続くルートの交差点にあたり、海上交通、陸上交通の要衝に位置に所在する。今回の調査では、弥生時代末〜古墳時代初頭の竪穴建物で構成される集落であることが確認できた。建て替えが確認できることから、少なくとも100年程度は集落として機能していた可能性が高い。奈良時代以降の遺構については明確ではないが、掘立柱建物が数棟分確認できる。平安時代以降、大知波峠廃寺や向雲寺などが近在しており、これらの寺院と関係する遺跡であった可能性が高い。
24 中桁・中ノ坪遺跡
(なかげた・なかのつぼ)
富士市  中桁・中ノ坪遺跡は富士山南麓の大渕扇状地(富士市伝法)に所在する。これまで2度にわたる調査で、古墳時代・平安時代の集落遺跡であると理解されてきた。今回の調査では、奈良時代〜平安時代にかけての竪穴建物が9軒検出され、土器・鉄製品・石製品が出土した。その結果、古墳時代より継続的に集落が営まれた複合集落遺跡であることが判明した。
25 裾野市葛山の遺跡群 (かずらやま)
裾野8
裾野市  葛山大端ヶT遺跡では旧石器〜縄文時代の遺構・遺物が確認され、旧石器時代は礫群、縄文時代は集石、土坑、焼土、遺物集中が検出された。遺物は、土器が早期〜後期で、中期が主体。石器は石鏃、磨石・敲石類等が出土。
 葛山大端ヶV遺跡も、旧石器時代の礫群、縄文時代の土坑、遺物集中が見られた。土器は早期〜後期で、早期が主体。石器は石鏃、磨石・敲石類、石皿・台石類等が出土。
 藤畑遺跡は縄文時代の土坑が確認されたのみである。
 これらの遺跡は狩猟のキャンプサイトと想定される。
26 上伊太遺跡 (かみいた) 島田市  伊太谷川流域の丘陵に面した低地部に位置する。弥生時代後期〜古墳時代前期の遺構として竪穴住居・掘立柱建物・溝状遺構が検出され、遺構の切り合いや出土遺物から、集落がある程度の時期幅をもって継続していた様子を窺うことができる。中世〜近世の遺構としては杭列・石敷遺構・石組遺構が検出され、水田が継続して営まれていたものと考えられる。
27 篠場瓦窯跡 (しのんば) 浜松市  篠場瓦窯では、7世紀末から8世紀初頭にかけての瓦窯が3基発見されている。築造順序は、3号窯・2号窯・1号窯の順である。窯跡や灰原からは多量の瓦が出土しており、大和・山田寺出土のものと同形態の螻羽瓦や、平瓦を粘土素材とする無文鬼瓦、藁座痕が残る平瓦製作時の截断片、三角形の粘土板を用いて製作された丸瓦、文字瓦など、全国的にも稀少な資料が出土している。瓦窯はいずれも瓦陶兼業窯で、1号窯では静岡県で初例となる環状瓶が出土している。静岡県における初期の瓦窯の一つであり、技法や文様は、古代遠江の瓦に大きな影響を与えている。篠場瓦窯の西側に隣接する上海土遺跡では、中世末から近世にかけての掘立柱建物が3棟検出されており、同時期の土器や陶磁器が出土している。
28 雲岩寺C古墳群・高根山A古墳群
(うがんじ・たかねやま)
浜松市  雲岩寺C古墳群・高根山A古墳群は、浜松市浜北区に所在する静岡県下を代表する古墳時代後期〜終末期の群集墳の一つである。両古墳群ともに、6世紀中・後葉に中心となる古墳が築造され、7世紀代に古墳の造営が活発化してことが判明した。前者のほうが古墳・石室規模が大きく、後者は小規模なもの、墳丘が明瞭でないものがある。副葬品には古墳時代後期〜終末期の一般的な遺物が多いが、雲岩寺C1号墳出土遺物は遠江ではあまり出土例がない鉄鏃形式、複数種類の鉄鏃形式を保有すること、雲岩寺C古墳群では砥石が複数の古墳から出土すること、高根山A17号墳では東日本に多い二円孔鍔が出土土するなど特異な交流関係を保有した集団の墓域と想定できる。
 また、平安時代にも墓域として利用され、10〜11世紀と想定される土坑墓と火葬墓が丘陵の浅い谷部分から128基確認された。平安時代の墳墓がこれほどまでに集中して発見される例は珍しく、貴重である。
29 細沢遺跡・南山V東遺跡
(ほそのざわ・みなみやま)
裾野市  細尾根上に立地する細沢遺跡では焼土粒を伴った集石、縄文早期から中期頃までの土器片、狩猟具や加工具が出土した。一時的に道具を持参し活動する場であったと考えられる。南山V東遺跡は斜面から逆茂木痕を有する縄文時代の陥穴が検出された。
30 渕ヶ沢遺跡 (ふちがさわ) 沼津市  渕ヶ沢遺跡は旧石器〜縄文時代を中心とした遺跡である。旧石器時代の土坑は世界的にも稀な陥穴猟に用いたものと考えられ、当時の生業を考える上で重要な成果である。また同時代の石器ブロックは各種石材、製作技法に基づく石器群が層位的に分離された状態で検出されており、当地域における石器の様相を知る上で多くの資料を追加することができた。
 縄文時代の土器・石器は、早期を中心とする一方で、愛鷹山麓では類例が少ない後晩期に該当する土器も一定量出土しており、本遺跡が各時期を通じて何らかの人の動きがあったことを示すものと評価できる。
31 裾野市富沢・桃園の遺跡群U
(とみさと・ももぞの)
裾野市  第二東名建設事業に伴う土盛場及び建設用道路設置箇所における4遺跡の発掘調査。富沢内野山T西遺跡では第W黒色帯より上位にて礫群等を確認。また縄文時代草創期の土器が出土した。富沢内野山T西遺跡及び富沢内野山V北遺跡では愛鷹山東麓では数少ない縄文時代後期の土器群を確認している。富沢内野山W西遺跡及び富沢内野山X遺跡では縄文時代早期の押型文土器に伴うと考えられる炉跡を確認。
32 東野遺跡T (ひがしの) 長泉町  東野遺跡は、旧石器時代から縄文時代、弥生時代以降に至る複合遺跡である。本書では、縄文時代以降の遺構・遺物を中心にまとめている。縄文時代の遺構は、住居跡・土坑・集石等が検出された。住居跡は1軒のみで、中期の勝坂式土器を伴う。調査区南部で検出された列状に並ぶ土坑群は、意図的に配置された狩猟用の陥穴群と考えられる。また、多量の縄文土器・石器が出土したが、土器は早期後半を主体とするものである。
33 弁慶嵐石丁場遺跡
(べんけいあらしいしちょうば)
熱海市  近世の江戸城築城に伴い、石垣の石材を切り出した石丁場遺跡である。加工痕が見られる石材が見つかった。加工痕には割線、矢穴線、矢穴、刻印などが施され、石材の加工工程が確認できる石丁場遺跡である。刻印には三つ巴紋、十字紋が見られる。多くの石材は、分割の失敗や製作途中の未完成品と見られ、遺棄されたと考えられる。
34 駿河山遺跡X (するがやま)
(弥生・古墳・歴史時代編3)
島田市  駿河山遺跡は縄文時代、弥生〜古墳時代、奈良・平安時代〜近世に至る複合遺跡である。これまでの調査で、縄文時代の遺構と遺物、弥生〜古墳時代の竪穴住居跡、掘立柱建物跡、方形周溝墓の成果がまとめられ、本書は弥生〜古墳時代の溝状遺構、土坑と奈良・平安時代以降の遺構・遺物の成果と駿河山遺跡の総括を行った。土坑は一部は祭祀遺構と考えられる礫詰めのものや土器片を充填した遺構などが検出された。溝状遺構では古墳時代前期の集落の区画溝が特筆できる。古墳時代前期初頭までは墓域を居住域が囲むような配置であったのに対し、古墳時代前期以降は西側に墓域、東側に居住域と配し、溝によりそれらを明確に区別するような配置に変化した事が分かった。またこの溝は古い墓域を壊していることから、古墳時代前期に大きな集落の再編が起こったことが窺える。奈良・平安時代以降は集落の存在は判然としないが、区画溝が検出されていることから畑地としての利用の可能性が考えられる。
35 寺家前遺跡U (じけまえ)
(木製品・石製品・金属製品他編)
藤枝市  寺家前遺跡では弥生時代後期後半に初めて当地に人の手が入り、集落と水田を開発した痕跡が見つかった。集落域では竪穴住居や掘立柱建物を検出した。水田域では低地一面に続く畔が見つかり、弥生土器や磨製石斧、建築部材などの木製品が大量に出土した。水脈は集落の東側に流れる葉梨川や背後の丘陵からの水流が豊富であったと考えられる。その後、集落は一端途絶え、古墳時代後期になると再び居住域となり、竪穴住居や掘立柱建物を検出した。水田域では補強された畔が見つかり、土師器や須恵器、木製品などが出土した。本書は弥生時代後期から古墳時代後期までの出土木製品と石製品、金属製品、自然遺物(種子等)の報告をした。
36 元島遺跡V (もとじま) 磐田市  古墳1基と弥生時代の方形周溝墓を12基、土器棺2基を報告した。方形周溝墓は、平成12年度に隣接区で検出した分を合わせると41基検出したことになり、この地が弥生時代の一大墓域とし利用されていたことが明らかとなった。
37 富士岡1古墳群他 (ふじおか) 富士市  富士岡1古墳群では6世紀後半と考えられる古墳の周溝と、古墳時代前期の竪穴建物、方形周溝墓が検出された。また、縄文時代早期から中期の遺物も出土した。中でも諸磯b式土器、十三菩提式土器などの前期後半の土器が多く出土した。富士山南麓では縄文土器がまとまって出土した例は少なく、静岡県東部における前期後半の土器編年等を考える上でも欠かせない資料と言える。                                       
 向山遺跡では古墳時代前期の竪穴建物が検出された。建築材と推定される炭化物が出土した建物、土器に伴って銅鏃が出土した建物も見られる。また、縄文時代中期後葉の竪穴建物も検出された。出土した縄文土器の中で最も多いのは前期後半の諸磯c式土器で、これに続く十三菩提式土器、中期前半の五領ヶ台式土器も多く出土した。
 中尾沢遺跡では古墳時代前期の竪穴建物が土器を伴って検出された。
 分地遺跡は溝状遺構と土坑・小穴が検出されているが、詳しい時期は不明である。
38 井通遺跡V (いどおり) 浜松市  井通遺跡は浜名湖北東岸に位置する弥生時代中期〜中世にわたり集落が営まれた複合集落遺跡である。水陸交通の結節点に立地することから、奈良時代に引佐郡家関連施設として郡津が展開していた。今回の調査では中世の自然流路が確認され、遺跡の北側では自然環境の影響により人為的活動の痕跡が低調であったことが判明した。
39 御殿川流域遺跡群X
(ごてんがわりゅういき)
三島市  御殿川流域遺跡群では河川改修工事に伴って継続的な調査が行われている。今回は平成8年・9年実施調査区に隣接する地点で行われた手乱遺跡及び鶴喰広田遺跡の発掘調査である。御殿川の旧河道の一部が検出され、旧河道に長期間にわたって堆積した包含層より、弥生時代〜江戸時代にかけての遺物が多量に出土している。出土したのは、土器、陶磁器や木製品といった日常生活に関わる多種多様な遺物であり、これらは周辺に展開する集落域を考える上で貴重な資料群といえる。
40 新居関跡 (あらいせき) 湖西市  新居関跡は明応の地震によって形成された「今切」における交通の管理監督を目的に17世紀初頭に成立した近世の関所である。度重なる震災や津波の被害により2度の移転が行われている。現在の関所跡は宝永五年(1707)年の2度目の移転によるものであり、現存する唯一の関所建物として、昭和30年に特別史跡に指定されている。今回の調査は指定地南側の国道改良工事に伴う記録保存調査である。調査の結果、絵図の記録に合致する形で、桝形を形成する柵、土塁・石垣を検出している。また面番所前から広がる礫敷面と船着場へ向かう硬化面を検出しており、関所構造を検討する上で、貴重な成果となっている。
41 小鹿杉本堀合坪遺跡W
(おしかすぎもとほりあいつぼ)
静岡市  第3面の黒色泥炭層は弥生時代後期〜古墳時代前期の包含層と考えられるが、そこから板状及び棒状の木製品が出土した。第2面では須恵器の破片が出土しているが、時期は古墳後期〜古代で、やや不明確である。第2面で検出された遺構は、平安時代以降と想定される水田関係の遺構が主であり、畦畔状遺構及び多数の溝状遺構のほかに土坑が検出された。土坑は溝状遺構を切って構築されており、先後関係が認められる。畦畔状遺構及び溝状遺構の主軸方向は、静清平野の広域表層条里とほぼ一致し、条里制に基づく水田と思われる。第1面は近世以降と考えられる水田面であり、一体となった畦畔状遺構と溝状遺構が検出され、広域表層条里の境界線とほぼ一致する。第1面の遺構は杭列が伴っていた可能性もある。調査区は全面にわたって、旧静岡薬科大学時代の建物基礎と思われる攪乱により破壊されている部分が多く、遺跡の保存状態は悪かった。この攪乱ないし盛土中より旧日本陸軍の砲弾の薬莢が出土した。その刻印により東京第一陸軍造兵廠(現東京都北区に所在)で1943(昭和18)年に製造された37mm砲弾と考えられる。本遺跡隣接地(又は本遺跡を含む地区)に所在した旧三菱重工業静岡発動機製作所が、1945年に米軍の空襲を受けて大きな被害を受けた際、その瓦礫が今回の調査地点に運び込まれ、その中に含まれていた可能性を想定した。
42 御殿場市神山・駒門の遺跡群
(こうやま・こまかど)
御殿場市  イザロ塚遺跡では包含層中から縄文時代の尖頭器1点が出土した。
 宮ノ台遺跡では包含層中から縄文時代早期後半と晩期後半の土器が出土した。早期の土器は主に打越式土器と神之木台式土器である。晩期の土器は浮線文系土器の初現段階である女鳥羽川式に併行する土器である。これらの土器は宮ノ台遺跡のすぐ東に隣接する関屋塚遺跡から出土した土器と同じ型式であり、関屋塚遺跡の遺物包含層が西側にも続いていることが明らかになった。静岡県における浮線文系土器の出土量はまだ少なく、今回の調査で出土した土器は今後の調査・研究の良好な資料と成り得るものである。また、静岡県東部地域に多く分布している、中近世のものと考えられる溝状遺構と円形の土坑が検出された。
43 寺家前遺跡V (じけまえ)
(古墳時代後期編)
藤枝市  寺家前遺跡では弥生時代後期〜古墳時代初頭の集落が一旦途絶えた後、再び古墳時代後期の居住域となっている。集落域では竈を持つ竪穴住居や掘立柱建物が見つかっている。なかでも四面に庇が付くと考えられる大型の建物跡は集落の中心にあり、溝や柵で囲まれた区画のなかに存在することが明らかとなった。溝や自然流路からは土師器の坏を中心とした土器が大量に出土した。水田域では補強された畔が見つかり、土師器や須恵器、木製品などが出土した。水脈は集落の東側に流れる葉梨川や背後の丘陵からの水流が豊富であったと考えられる。本書は古墳時代後期の集落・水田遺構と出土した古墳時代の土器・土製品等の報告である。合わせて弥生〜古墳時代木製品の樹種同定結果も掲載している。
44 寺家前遺跡W (じけまえ)
(弥生時代後期〜古墳時代初頭・総括編)
藤枝市  寺家前遺跡では弥生時代後期後半に初めて当地に人の手が入り、集落と水田を開発した痕跡が見つかっている。集落域では竪穴住居や掘立柱建物、自然流路等を検出した。低地一面に広がる水田域では、網の目状に繋がる大畔と小畦が見つかり生業は稲作中心であったことが伺える。水脈は集落の東側に流れる葉梨川や背後の丘陵からの水流が豊富であったと考えられる。自然流路や包含層からは弥生土器や磨製石斧、建築部材などの木製品が大量に出土した。本書は弥生時代後期から古墳時代初頭の遺構群と出土土器の報告をした。寺家前遺跡の最終報告であり、これまでの総括編も巻末にまとめている。
45 東野遺跡U (ひがしの)
(旧石器時代〜縄文時代草創期編)
長泉町  東野遺跡は愛鷹山南東裾部に位置する。縄文時代以降の遺構・遺物については『東野遺跡T』で触れている。本書では旧石器時代から縄文時代草創期の遺構・遺物を取り扱っている。旧石器時代では第Z黒色帯において確認した炭化物集中が最下層の遺構である。第V黒色帯下面付近では陥穴と考えられる土坑30基が検出された。この土坑はその配置から3群に分類され、なかでも南西谷部に沿って配置された土坑列が注目される。これまで尾根上でしか確認されなかった土坑列が、谷部内で確認されたのは国内初例である。狩猟形態の多様性が想起される。また第T黒色帯から休場層直下黒色帯にかけての南西谷部においては、多くの礫群が検出された。これらは石器ブロックや炭化物集中と重複し、重層的な様相を示していることから、継続的な生業活動が行われた箇所と認識される。
縄文時代草創期に位置づけられる遺物は尖頭器である。尖頭器のみ多く出土し、土器の出土は認められていない。狩猟場として位置づけられる。
46 ミカノセ遺跡 (みかのせ) 南伊豆町

ミカノセ遺跡は二級河川青野川の支流である鯉名川左岸の泥質地盤上に立地する。調査区内からは鯉名川の旧河川が検出され、河川の左岸には護岸遺構が確認された。護岸遺構は河川の壁に沿って造られた木組みの遺構である。河川の壁に横木を置き、横木の前に杭を隙間なく並べて打つことを数回繰り返して構築している。この遺構を構築している木材は、自然木の他に柱、梁または桁、壁材、垂木などの建築材を転用したものも含まれている。これらの建築材は加工方法と、自然科学的年代測定の結果などから、弥生時代後期以降のものであることが推定され、遺構が構築された時期はそれ以降であると言える。
 河川及び包含層中から出土した土器は、縄文時代晩期後半、弥生時代中期中葉〜8世紀中葉、9世紀〜10世紀と中世のものが見られる。近接する日詰遺跡、日野遺跡の5世紀中葉〜7世紀前半の祭祀遺構で出土している手づくね土器、平安時代の製鉄遺構で出土している灰釉陶器が本遺跡でも出土しており、両遺跡との関連性の高さが窺える。

47 東田遺跡 (ひがしだ) 河津町

東田遺跡は河津川左岸の河岸段丘上に立地する。今回の調査では遺構は検出されなかった。遺跡の中心は北側の山寄りの位置にあると想定される。
  遺物は、包含層中から縄文時代中期の五領ヶ台式、勝坂式、加曽利E式、曽利式土器が出土した。また、伊豆半島南部では初例となる細石核が出土した。

48 立道遺跡 (たつみち) 御殿場市  立道遺跡は富士山東麓の裾野に立地する。遺構として土坑、溝状遺構、小穴が検出された。遺構の中には宝永テフラ層より古いと考えられるものが存在する。土坑はバリエーションがあり、円形のものと、細長い長方形で整然としたつくりのもの等に分類できる。遺構に伴う遺物は皆無であり、正確な時期比定は困難だが、近世以降の所産で、新しいものは近代まで下るかもしれない。整然とした長方形土坑は耕作に関わる遺構(天地返し痕)の可能性が強い。また、円形土坑は大型で、墓壙の可能性を想定した。古代〜中世の遺物として土師器及び、灰釉陶器ないし山茶碗小片が出土した。また近世陶磁器が少量出土した。これらの遺物には、新しい時期の客土等に混入したものが含まれている可能性がある。また、表土等掘削中に白磁瓶を採取したが、化粧クリームの容器の可能性が考えられる。底部に製造に関わる記号が認められた。それによれば、岐阜県の美濃地域でアジア・太平洋戦争期に、統制品として生産された瓶であることが判明した。全体とし僅少な遺物量であり、遺構も直接生活に関連するものはなく、人が常時立ち入る土地ではなかったと想定される。なお、調査区の一部で検出されたスコリア層は、プライマリーな宝永テフラ層であることが科学分析により確認できた。
49 海戸田遺跡 (かいとだ) 菊川市  上層では平安時代末〜鎌倉時代のものと考えられる溝状遺構や自然流路等を検出している。自然流路内には、杭と丸太の横木に細かい枝木を横たえるように組まれた遺構を確認した。横木と枝木は3層に亘って構築されている。その構造から、流路の流れを堰き止め、水位を上げる用途をもった堰と考えられる。その交点が調査区外のため確認はできなかったが、位置関係から見て水路と考えられるSD01の取水用に設けられたものと考えられる。谷口に位置する沖積地であるこの一帯の土地利用を進めるにあたって、水路を構築し、自然流路から取水、各水田等へ配水していたと考えられる。また、下層からは弥生時代後期の土器と石が多量に出土する溝跡が確認された他、縄文土器や古墳時代から奈良時代の土師器等が出土しており、この一帯での人々の活動の様子を知ることができる。
50 岡・玖須美石丁場群U遺跡
(おか・くすみいしちょうば)
伊東市  岡・玖須美石丁場群U遺跡は、近世の江戸城築城に伴い、石垣の石材を切り出した石丁場遺跡である。慶長年間の前田利常の石丁場であったことが文献史料により推定されている。今回の調査で加工痕が見られる石材が26個体発見された。石材は、刻印を刻んだ自然石、石材を切り出すための矢穴を彫りこんだものの、分割成形に失敗して放置された原石材、石材を切り出した際に生じた端石材の3種類に分類される。刻印の種類が12種類と豊富であり、このことは前田家の石丁場の特徴を示すものである。
51 赤土政所遺跡・一反田遺跡
(あげつち・いったんだ)
菊川市  赤土政所遺跡・一反田遺跡は菊川市南部中央の旧小笠町赤土地区に所在する。丹野川によって形成された沖積平野に立地し、川の南岸一帯に広がっている。遺跡周辺には弥生時代中期の標識遺跡である嶺田遺跡をはじめ多くの遺跡が存在する地域でもある。赤土地区には平安時代末に「赤土荘」が置かれ、「政所」という地名も残っている。
 赤土政所遺跡では4面の遺構面が見つかっている。1面では中世以降の掘立柱建物と土坑、区画溝、自然流路、不明遺構等がある。2面は奈良時代末から平安時代で、大型の掘立柱建物群と土坑、区画溝、水田、自然流路、不明遺構等が検出された。掘立柱建物跡は16棟あり、3回ほど建て替えられていることがわかった。3面は古墳時代中期から終末期までの竪穴建物、溝、土坑、自然流路などが見つかっている。4面は古墳時代前期から中期中頃までの遺構面で、南半部には竪穴建物のほか、溝、土坑、自然流路があり、北半部一帯に水田が見つかった。
 一反田遺跡では3面の調査が行われた。1面では鎌倉時代から南北朝期の区画溝に囲まれた屋敷跡を確認した。区画溝内には6×3mの大型掘立柱建物が見つかっていることから政所の一角である可能性が考えられる。2面では旧丹野川の支流と思われる奈良時代から平安時代の流路を検出した。流路内では多量の土器や木製品が出土したが、覆土下層では古代の木製祭祀具として斎串や人形、鳥形木製品、墨書のある灰釉陶器が見つかっている。3面では古墳時代と思われる水田と杭列を検出した。水田は赤土政所遺跡の水田よりも深い位置で確認したことから時期的に古い可能性がある。
52 大田切T遺跡 (おおたぎり) 静岡市

大田切T遺跡は静岡市清水区、清水平野の北東部に位置する遺跡である。昭和57年度に国道1号静清バイパス建設工事に伴って実施された発掘調査で、掘立柱建物跡や溝などの遺構が検出され、12世紀後葉から15世紀中葉にかけての陶磁器等が出土した。この調査結果から、当時この地域の有力豪族であった飯田氏の居館に関係する遺跡と推測されている。
 今回実施した発掘調査の対象地は、昭和57年度の発掘調査範囲の南西部に近接している。調査の結果、溝と杭列が検出された。溝は昭和57年度の発掘調査で検出された溝とつながり、同一のものである可能性が高いものである。杭列も昭和57年度の調査で検出されており、建物を区画するもの、あるいは地形の落ち込みに沿って打ち込まれたものと考えられる。今回の調査によって、調査対象地は建物跡の西側に掘り込まれている溝の範囲に当たること、そしてこの溝がより南へ延びていることが明らかにされた。

53 アラク遺跡 (あらく) 御殿場市  アラク遺跡は標高495mの東に下る緩やかな斜面の西端部に立地する。遺跡の立地する地域は、約2,900年前に発生した御殿場岩屑なだれによる堆積物と、それに後続する第四紀古富士泥流層の扇状地堆積物(御殿場泥流層)に覆われており、それが遺跡の基盤層を形成している。発掘調査前の当地の用途は水田であった。2013年の試掘確認調査では、5箇所の試掘確認調査坑を設定し調査した。その結果に基づき、遺構が集中していると想定された地点で、2014年に本発掘調査を実施した。アラク遺跡の本調査で検出した遺構は、土坑が31基、溝状遺構3基、小穴2基である。土坑の多くは、隅丸長方形か、または長楕円形の平面形状を有する大型の土坑である。遺物が出土した土坑は土師器と近世土器が混在して出土したものが多く、近世以降の遺構であろうと考えられる。遺物が出土しなかった土坑も覆土からみて近世以降のものであろう。溝状遺構と小穴からは遺物は出土しなかったが、覆土からみて近世以降のものである。ただし、小穴は建物の柱穴かどうかは不明である。今回の長大な土坑群は、宝永スコリアの除去を直接の目的とするものではなく、農地で一般的に行われる通常の天地返し痕であろう。人間の居住に直接関係すると思われる遺構はほとんど無く、遺物も少ない。したがって今回の調査地点は集落等の遺跡の可能性は低く、農耕関連の遺跡と捉えるのが妥当である。
54 上土遺跡・岳美遺跡
(あげつち・たけみ)
静岡市

今回の調査では、巴川右岸に接する加藤島エリアと安東川エリアの2地点を調査対象地とした。
 加藤島エリアでは2面とした平安期の泥炭層下の灰色粘土層から100枚近い小区画水田が検出された。条里施行以前のものと考えられ、静岡平野における条里施行時期を検討する資料となるものである。
 安東川エリアでは古代条里にかかわる大畦畔が確認された。これらの大畦畔は、これまでの静清バイパス等の周辺の調査で確認された条里区画と同様、北から西に39度傾いた方向性を持ち、1辺約107mの方形区画をなすものである。いずれの大畦畔も条里計画線に沿って周囲に堆積した粘土を盛り上げた構造であり、中には構造の強化を図るため、不要になった農具や建築材といった木製品を構築材として用いている箇所も見られる。これらの条里区画を成す大畦畔及び水田等は、土層断面の観察の結果、平安時代初めには周辺の湿地化に伴い、廃棄されたものと考えられる。また、大畦畔上から8世紀後半代と考えられる須恵器が出土していることから、水田が営まれていた時期は現段階で8世紀〜9世紀初頭と考えられる。

55 渕ヶ沢遺跡U(ふちがさわ) 沼津市  今回の調査地点は、平成11〜20年度までに行われた調査の未調査部分にあたる。南北農道跡を1区とし、それにT字状に交わる東西農道跡を2区として調査を行った。1区は路盤構築時に行われた地番改良によって休場層までの包含層は大半が破壊されていた。
 旧石器時代の遺構としては埋没谷に近接して礫群3基が検出された。休場層第2スコリア(YS2S)より上位で検出された。第1号礫群にはガラス質黒色安山岩の尖頭器が伴っていた。その他、ナイフ形石器、抉入石器、細石刃等が出土している。また、1区南側に設定したテストピットにおいて、第W黒色帯の最上部から黒耀石制の剥片1点が出土した。
 縄文時代の遺構は、陥穴状の土坑2基と集石1基を検出した。遺物は極めて少なく、縄文土器、打製石斧等が2区を中心として出土した。縄文土器は早期の押型文土器のほかに、縄文晩期後半〜弥生中期前半と思われる条痕文土器が1片のみだが検出された。

         ◆問い合わせ先 : 静岡県埋蔵文化財センター

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